当校の歴史
学校誕生のこと
昭和33年、高校進学難による父母の願い、地域の要望に応えるため北海道で初の普通科私立共学校として開校しました。創設者石田學而(故人)は浄土真宗本願寺派の僧侶であり、開校時より仏教精神に基づいた「智育・徳育・体育」の実践に努めました。本校は「人柄の龍谷」として評価されています。
校名のこと
現在の校名に至るまでに3度の改称が行われました。開校時名は旭川高等学校とし、平成21年4月に現在の旭川龍谷高等学校となりました。「龍谷」の語源は本願寺(京都)の山号であり、親鸞聖人の廟地「大谷」を漢字にあてた「谷龍(大きな谷)」の一字を分かち書きにしたものです。
校歌
校章のこと
校章の由来は、仏舎利(釈尊の遺骨)を安置するインドの町・サンチーの仏塔・東門、最上部の三賓(宝)標(さんぽうひょう)にあります。三賓標は古代インドにおいて寺院や経典などに使われた標(しるし)です。
沿革の概要
昭和33年1月 | 学校法人旭川龍谷学園設立 理事長 石田學而就任 |
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昭和33年4月 | 旭川高等学校開校 初代校長 尾崎覚賢就任 |
昭和36年2月 | 不審火により校舎焼失 |
10月 | 校名を旭川竜谷学園高等学校に改称 |
昭和37年7月 | 現校舎完成 鉄筋コンクリート 5,815㎡ |
昭和38年3月 | 校名を旭川竜谷高等学校に改称 |
昭和39年6月 | 2代校長 横湯通之就任 |
昭和42年12月 | 体育館完成 鉄筋コンクリート 2,500㎡ |
昭和45年4月 | 3代校長 石田學而(理事長)就任 |
昭和46年11月 | 校舎増築 432㎡ 地下道完成 114㎡ |
昭和47年10月 | 総合トレーニング室完成 |
12月 | 音楽室・食堂・購買部棟完成 363㎡ |
昭和51年6月 | 学生寮完成 鉄筋コンクリート3階建 |
昭和60年3月 | 新校舎棟完成(2階建) |
8月 | 創立30周年事業「東神楽屋外総合グラウンド」用地取得 |
昭和61年3月 | 新校舎棟増築完成(3階部分) |
昭和62年7月 | 東神楽「石田記念球場」完成 |
昭和63年9月 | 東神楽「多目的グラウンド」完成 |
平成3年7月 | 代々木ゼミ・サテラインチャンネル導入 |
平成4年9月 | 第2体育館不審火により焼失 |
平成5年1月 | 2代理事長 石田嗣麿就任 |
4月 | 4代校長 五十嵐弘就任 |
10月 | 創立35周年記念式典・新体育館増築事業完了 |
平成9年4月 | 5代校長 石黒末雄就任 |
平成10年10月 | 創立40周年記念式典・ガス冷暖房設備完了 |
平成13年4月 | 6代校長 踊場公雄就任 |
9月 | 授業系・教師系・事務系統合イントラネット導入 |
平成14年4月 | 国際情報科開設・2学科2学期制導入開始 |
平成15年2月 | 語学(英語)学習支援システム「CALL」の導入・稼働 |
平成18年6月 | 国際情報科募集停止・普通科定員改定 |
平成19年4月 | 普通科3コース制(特進・選抜進学・総合)開始 |
平成20年10月 | 創立50周年記念式典・校舎外壁及び校舎内壁改修事業・記念誌発刊 |
平成21年4月 | 校名を旭川龍谷高等学校に改称 |
平成22年1月 | 障がい者用男子、女子トイレ・階段手すり・玄関スロープ設置 |
4月 | 7代校長 小野寺敏光就任 |
平成23年4月 | 「学び支援室」開設 |
平成24年4月 | スタディホール設置(自習室) |
平成25年4月 | キャリアデザインコース開始(特進・選抜進学) |
11月 | 3代理事長 小野寺敏光就任(校長兼務) |
平成28年4月 | 特進S・特進Aコース開始(キャリアデザイン) |
平成29年4月 | ユネスコスクールに認定される |
平成30年6月 | 4代理事長 石田慶嗣就任・8代校長 中田伸次就任 |
令和2年4月 | 未来教育推進室設置 |
令和2年11月 | 移転校舎改修工事着工 |
令和3年10月 | 移転校舎グラウンドに陸上競技室内練習場設置 |
令和3年12月 | 移転校舎改修工事完了 |
令和4年4月 | 9代校長 内藤佳和就任 普通科2コース6フィールド制 スタート |
令和4年6月 | 移転校舎グラウンドに野球室内練習場設置 |
令和4年8月 | 新校舎へ引越し・教育活動スタート |
令和5年4月 | 旧校舎解体工事スタート |
令和5年7月 | 駐車場拡幅工事完了 |
令和6年3月 | 旧校舎解体工事完了 |